ヨルダン

中東随一の古代ローマ遺跡ジュラシュ

中東一の古代ローマ遺跡ジュラシュ

皆さんこんにちはいき旅プランです!

今回はヨルダンにある古代ローマ遺跡ジュラシュのご紹介です。

中東にある古代ローマ遺跡の中で最も保存状態が良い遺跡で、

訪れてみると分かりますが中東にいることを忘れるほどです。

このジュラシュは6500年以上にわたって人が住み続けている歴史ある都。

現在も民家の地下深くに未発掘の遺跡が多く存在しています。

ヨルダンの観光地として人気がありますが日本ではあまり知られていません。

「ポンペイのようなかんじ」と紹介すれば遺跡好きの方々にはお分かりいただけることでしょう。

また、初めての方には、中東にこんなに素晴らしい古代ローマ遺跡があることを知って頂けたら嬉しいです。

古代ローマ帝国好き!遺跡好きの人必見!ジュラシュ遺跡!それでは始まります!

ジュラシュ遺跡の見どころ 8選

紀元前63年、古代ローマ帝国がこの辺りの地域を征服し、

現在のジュラシュに都市を築いたのがこの町の始まりでです。

当時の都市の名前は「ゲラサ」

ローマ帝国によって治安や平和が保たれおかげで、

ゲラサは経済活動や公共施設の建設などが盛んにおこなわれ都市基盤が整った都市でした。

大いに繁栄し最盛期には25,000人が生活していました。

現在私たちが古代ローマの人々の生活を垣間見ることが出来きるのこの遺跡は、

ゲラサの街並みです。

人々は生活の中には何があったのか、紹介していきたいと思います。

ハドリアヌス凱旋門

古代ローマ帝国14代皇帝ハドリアヌスが129年にこの町を訪れたことを記念して建てられた門です。

「パクス・ロマーナ」と呼ばれた1世紀末から2世紀後半頃、

戦いばかりだった時代と異なり古代ローマ帝国時代の中でも平和で幸せな時代だったと言われています。

ハドリアヌス帝はこのパスクロマーナ時代の五賢帝の内の一人。

平和と繁栄をもたらすリーダーはいつの世も慕われるわけで、

この町では歓迎の気持ちを込めて凱旋門が建てられました。

競技場

凱旋門の向かいにあるのが競技場です。

ここでは古代ローマ帝国の文化の一つ、競馬や戦車競技が行われ15,000人の民衆が観戦を楽しんでいたそうです。

楕円形の広場フォルム

街の入り口には大きな楕円形の広場「フォルム」があります。

広場は古代ギリシャのイオニア式の列柱が立ち並び、

中央には二つの祭壇と噴水があります。

この広場は主に市場や宗教儀式に使われていました。

外界から来た人たちにはまずこの大きな広場がこの町の印象として強く残ります。

多くの人々が行きかうこの立派な広場は、都市の繁栄を目と肌で感じることできたに違いありません。

コリント様式の列柱が立ち並ぶ道路

600mあるメインストリートの両脇には浴場や大聖堂が立ち並んでいました。

列柱はアカンサスの葉で美しく装飾されています。

この列柱が並ぶ数や範囲から、とても立派な都市だったことが見て取れます。

そしてこれらの柱やこの町の建物は、裕福な市民の寄付によって建てられたというのですから驚きです。

アルテミス神殿

古代ローマ帝国の特徴でもある宗教に対して寛容な時代に出来た都市の証、

この神殿のギリシャ神話に出てくるオリンポス神アルテミスが祀られています。

トルコのエフェソスの遺跡にはアルテミス神の像がありますが、

この神殿は外側の建物だけが残っています。

12本の大きな柱が特徴的で、現存するアルテミス神殿の中では形をとどめている方で、

この遺跡の中でもひときわ目立ちます。

2,000以上も前に耐震構造で建設されたというのも注目できるポイントですね。

立派な神殿を想像できますが、12世紀にアラブ軍と戦った十字軍により破壊されてしまいました。

ナバタイの教会跡

こちらはナバタイ人の建てた教会跡です。

ナバテア人とはペトラにナバタイ王国を作った人達です。

元々は遊牧の民ですが、交易によって大きな都市を築いたことでも知られています。

ヨルダンの世界遺産ペトラ遺跡にある建物と確かに似ていますね。

別のブログで紹介してますのでご参考に是非この機会に。

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ニンフを祭った神殿

この神殿は古代ギリシャ泉の神のニンフを祭った神殿でドームの屋根があったそうです。

曲線が多く柔らかく豊かな印象を受けます。

紀元前191年に建造されたものです。

神殿の前には魚が彫刻された大きな水盤がありました。

ローマ劇場二つのうち南劇場

街の南側にほぼ完全な状態のローマ劇場があります。

当時3,000人が収容でき現在でも夏にはフェスティバル会場として使われています。

資料館

遺跡から発掘された一部が無料公開されています。

建物の細かな装飾など近くで見ることができるので、お時間がある人は是非立ち寄ってみてください。

ジュラシュの歴史

現在のジュラシュ遺跡のあるこのあたりの地域には青銅器時代から集落があり人々が暮らしてきました。

時を刻む中で、ギリシャ、シリア、エジプトなどからの争奪地となり、

その後パックスロマーナと呼ばれるローマ帝国の平和な時代に築かれゲラサという大きな都市ができました。

そしてこれほど立派な都市にも衰退する時がきます。

614年、サーサーン朝ペルシャがシリアに侵入したことでゲラサの町のあたりは急速に衰退し始めます。

イスラム帝国による征服やウマイヤ朝の支配下でも交易など都市活動は活発に行われていましたが、

746年大地震が起きゲラサの町は崩壊してしまいます。

その後ゲラサは再建されず一旦忘れられた都市となります。

そして1806年ドイツの探検家によって発見され、

発掘調査と修復後古代都市遺跡ジュラシュとして現代によみがえりました。

ジュラシュ遺跡は広く開けた土地にあり、近くに現代の人々が暮らす町が見えます。

何百年も大いに繁栄した立派な都市の廃墟と、

現代の人々が生活を営む街並みの対比を見ながら、

私はどちらかというと古代ローマ時代の豊かさを強く感じ、不思議な感覚に問われれる瞬間がありました。

古代ローマ人になって現代にタイムスリップしたような・・まるで漫画のテルマエ・ロマエ、笑。

このジュラシュ遺跡は現代の修復によって中東一の古代ローマ遺跡として立派に蘇ったのですが、

実は修復されすぎて世界遺産に登録されていません。

しかしながら穏やかな丘陵地帯に広がるその様は、

時空を超えて人々が生活していた息吹が強く感じられる素敵な遺跡でした。

訪れた日はあいにくの雨でしたが、緑の草と小さな花々が遺跡に彩りを添えとても美しい光景で、

私はお気に入りの遺跡の一つにこのジュラシュを加えました。

みなさんも是非次回の旅のご参考に!

ジュラシュ遺跡への行き方

ヨルダンの首都アンマンから北へバスで48km
アンマンの北バスターミナルからジェラシュ行きのバスに乗り1時間程度。1ディナール(¥160)ジュラシュ入場料10ディナール

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次回の旅のご参考にして頂けると嬉しいです。

それではまた次回!いき旅プランでお待ちしております!