ヨルダン

ヨルダン 世界遺産ペトラ遺跡1日観光 その1

中東の国ヨルダンはこんな国

皆さんこんにちはいき旅プランです!

遺跡好きには外すことが出来ない場所、世界遺産ペトラ遺跡の紹介です。

中東の国ヨルダン。正式にはヨルダン・ハシェミット王国と言います。

ながくオスマン帝国の一部でしたが第1次世界大戦の後にイギリスの委任統治下に置かれた後第2次世界大戦後、1946年に独立しました。

現在はイスラム教の開祖ムハンマドの子孫ハーシム家を王家とする立憲君主制の国家です。

地理的にはイラク、サウジアラビア、シリア、イスラエル、パレスチナに囲まれていているので

天然資源が豊富なのかと思いきやそうではなく、国の主力産業は観光です。

そして周辺地域での紛争や内戦から逃れてくる難民を多く受け入れて

医療や教育などを提供してその人達を支えている国なのです。

そんなヨルダンの国で一番の観光スポット「世界遺産ペトラ遺跡」をご紹介します!

1日たっぷり時間をとって観光することをお勧めします!それでは早速スタート!

ペトラ 隊商都市の成り立ちと衰退まで

紀元前6世紀アラブの遊牧民族ナバテア人がここに住み始めました。

ナバテア人は南パレスチナに向かって移動していた時偶然にも天然の要塞に守られたこのペトラの地と出会い定住を始めます。

肥沃な三日月地帯を中心にメソポタミア、エジプト、ギリシア、インダスの古代文明を結ぶ要衝の地となり、

紀元前312年にこのペトラの地にナバテア王国が誕生します。

砂漠を移動するキャラバン隊の中継基地として、また、キャラバン隊の安全を保障する見返りと

商品に関税をかけることで利益を得て栄えた都市でした。

東へ続くシルクロード、西のローマへの道、南はエジプト、そしてアラビア付近の貿易も独占しまさに交易の十字路。

香料、絹、香辛料など貴重な品々を取り扱い大都市へと発展しました。

この時代にはこういったキャラバン隊の休む都市として繁栄した都市がいくつも作られていました。

そしてこの時代に出来た建物が、現在観光に訪れる私たちにロマンと感動を与えてくれる遺跡として残っています。

時はながれ紀元前63年頃、ローマが周辺諸国を征服するとナバテア王国もローマの脅威にさらされます。

交渉の末ナバテアの自治を守ることができましたが、この頃からローマの文化がペトラにも入るようになり、

建物も生活様式もローマの文化へと入れ替わりが見え始めます。

当時の交易の主流がラクダに乗ったキャラバン隊が運ぶ陸路から、船で荷物を運ぶ海の交易へと変わりつつあり、

それまで繁栄の栄華を誇っていたペトラは衰退し始め、交易の十字路はシリアのパルミラへと移っていきました。(パルミラは別のブログで紹介予定。)

さらに時代の移り変わりにタイミングを合わせたかのように363年、大地震にみまわれます。

ぺトラは壊滅的な被害をうけナバタイ王国はその後衰退の一途をたどり、遊牧の民ベドウィンがしずかに暮らす土地へと変わっていきます。

そして1812年探検家で東洋学者のヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトに発見されるまで、人々から忘れ去られた都市遺跡となっていました。

ペトラ遺跡観光で準備するもの

ペトラ遺跡の地域はとても乾燥しています。

足元の道は細かな砂で風が吹くと舞い上がります。

そして奥へ進むと砂浜のような状態の場所もあります。

観光に準備していると役立つものは次の通りです。

ペトラ遺跡観光で準備するもの

1. ミネラルウォーター
2. 帽子、サングラス、手袋
3. ネックウォーマ―(時には鼻まで隠せてマスクのかわりになります)
4. 履きなれたスニーカー
5. ウェットティッシュとティッシュ

世界遺産ペトラ遺跡1日観光 その1

まずは世界遺産の中で世界高い入場料の高いと言われている料金を支払うゲートから、

巨大岩の裂け目にある遺跡の入りまでは徒歩(10分程度)、もしくは馬で向かいます。

道は、左側が馬車道、右側が徒歩と決まっています。

遺跡の入り口からエル・ハズネまで1.5㎞

高さ50m以上の巨大な岩の裂け目が観光客を迎えます。

これが遺跡への入り口。この光景だけでドキドキしてきます。

エルハズネまでこの「シーク」と呼ばれる岩の裂け目の道を1.5㎞ほど歩きます。

二人乗り用の馬車(往復25ディナール)もあるので、

先の行程を考えて無理せず馬車に乗るのも一つの手段だと思います。

美しい地層を楽しみながら歩いていると時には頭上の岩が100mほどになる場所もあります。

空気はとても乾燥しています。

途中、ナバテア王国まで水を引いていた灌漑施設を見ることができます。

シークの脇に溝をほり都市まで水を引いていました。

こちらは結婚式の儀式に使われていた場所。

2人岩の間に入って誓いをするのだそう。

エル・ハズネ宝物殿

シークを通り抜けると突然正面に巨大遺跡「エル・ハズネ」が現れます。

アラビア語で「宝物殿」という意味。

建物の一番上に乗っている壺の中に、宝物が隠されていると信じられていたことに由来しているそうです。

世界遺産ペトラ遺跡のなかでも最も人気がある建物です。

映画「インディージョーンズ・最後の聖戦」では舞台として使われたことでも知られています。

また「トランスフォマー」の映画にも使われていましたね。

エル・ハズネは紀元前1世紀頃ナバテア人の国ナバタイ国の王の墓として建てられたとも言われていますが、所説あります。

大きな岩をくりぬいて建てられたエル・ハズネは、コリント様式やヘレニズム文化などいくつかの建築様式が使われており

当時この地域はギリシャ、エジプト、アッシリアなど、様々な地域の文化の影響を受けていたことが分かります。

コリント様式の影響をうけた柱が美しいです。

柱に溝は無いもののアカンサスの葉の彫刻が美しく残っています。

2階構造の建物で高さ43m幅30mあります。

現在中には何もなく内部を見学することもできないので建物の入り口から中をのぞくだけとなります。

この遺跡の周辺にはたくさんの観光客が写真を撮っています。

まずはここまでがペトラ遺跡の観光ポイントの一つ目です。一息ついて次へと進みましょう!

続きは「世界遺産ペトラ遺跡1日観光 その2」で紹介します!是非ご覧になって下さいね。

ペトラ遺跡周辺地図

プチっと情報:ペトラ遺跡に行く時は、専用ガイドを手配するかもしくは日本からのツアーに参加されることをお勧めします

いき旅プランでは旅の様々な光景を織り交ぜながら

お役立ち情報を発信していきます。

次回の旅のご参考にして頂けると嬉しいです。

それではまた次回!いき旅プランでお待ちしています。